交遊録 / 2012年12月号 Vol.105

(第21回)妹の乳がん

残された日々は、快適に一日一日を大切に過ごしたい がん患者のQOL  4名の子供を残して29歳でこの世を去った母は、とても悔しかったに違いない。母の兄や姉も胃がんで亡くなったが、いずれも60歳を過ぎてからだった。母の死を

執筆者:天願 勇


交遊録 / 2012年11月号 Vol.104

(第20回)銀杏並木と紅葉

“がん”で亡くなった母の仇を討つために医者に ひめゆり学徒隊だった母の短い生涯  更けゆく秋、旅先で銀杏並木や紅葉を見ると死んだ母を思い出す。杉並の公園で拾った落ち葉を本に挟んで送ってくれた、母から子供達への最後のプレゼ

執筆者:天願 勇


交遊録 / 2012年10月号 Vol.103

(第19回)「羽衣祭り」が終わって

明朝時代の天願按司の役目 宜野湾の夏『カチャーシー大会』  毎年、宜野湾市の夏は『羽衣祭り』で盛り上がる。メインイベントは『カチャーシー大会』である。  そのカチャーシーと宜野湾市のシンボルである森の川・羽衣伝説が合体し

執筆者:天願 勇


交遊録 / 2012年09月号 Vol.102

(第18回)祖父母のこと

 植民地化反対運動「天願事件」 沖縄返還と密約  祖父・天願朝行は師範学校を卒業し、教職に就いた後、45歳にして沖縄県視学に就任。西郷隆盛のような風貌ともの腰柔らかい性格から老若男女の別なく『チョウコウ先生』の愛称で呼ば

執筆者:天願 勇


交遊録 / 2012年08月号 Vol.101

(第17回)我が家のルーツ②

我が父の不撓不屈の人生 S君との決闘    あの歌を口ずさむと、あの頃のことを思い出す。    “時には母のない子のように だまって海をみつめていたい 時には母のない子のように ひとりで旅に出てみたい

執筆者:天願 勇


交遊録 / 2012年07月号 Vol.100

(第16回)我が家のルーツ

母からの最後のプレゼント 祖父母と父    私の父・安晴は第二次大戦に青春時代を過ごした世代だ。その生き様は団塊世代の私にも大きな影響を与えている。太平洋戦争で多くの肉親、親友を失ったにもかかわらず、敗戦の焼け

執筆者:天願 勇


交遊録 / 2012年06月号 Vol.99

(第15回)ボスからの教え

気力・体力・技量を鍛えなければ生き残れない 沖縄での研修医時代  映画『男はつらいよ』の中で、フーテンの寅さんが甥の満男に聞く場面がある。  「お前は大学に行こうとしているが、何のために大学までいくのか?」。満男は答えら

執筆者:天願 勇


交遊録 / 2012年05月号 Vol.98

(第14回)道楽とは

フーテンの寅さんのような存在 道楽の意味  渥美清主演の映画『男はつらいよ』の中でフーテンの寅さんが悩みを相談する“御前様”のような上村先生と私との共通点は、沖縄本島うるま市の出身、幼くして母を亡くし、医師になり、生・老

執筆者:天願 勇


交遊録 / 2012年04月号 Vol.97

(第13回)減胎手術は是か非か!?

患者さん中心の医療に人生をかける根津医師の信念 両親からの感謝の言葉  上村先生は医師になった二人の息子を後継者として育て、理事長職は長男に譲り、85歳で名誉院長に退いた。次男は諏訪マタニティークリニックの根津医師の下で

執筆者:天願 勇


交遊録 / 2012年03月号 Vol.96

(第12回)外科医の手

『青い鳥』と『ホールインワンの幸運』 上村先生と根津先輩  沖縄が日本復帰して40年になる。‘72年には、アメリカのニクソン大統領が中国の毛沢東主席と電撃的に会談して米中和平条約を結んだ。当時からアメリカは中国をパートナ

執筆者:天願 勇


交遊録 / 2012年02月号 Vol.95

(第11回)産婦人科冥利

“うえむらっ子”は約5万人 名前に込める親の思い  医師一人職員7名の小さな診療所から始まった上村医院は45年を経た今では医師8名、職員80名を擁する病院になった。0歳児から45歳まで、元気に活躍している5万人の“うえむ

執筆者:天願 勇


交遊録 / 2012年01月号 Vol.94

(第10回)85歳の手習い

趣味に生き、誠の道を歩み続ける上村昭栄先生 幼少・少年時代  上村昭栄先生は現役の産科医で、ゴルフと人生の師匠である。20歳上だが、友達のようにジョークの効いた軽妙洒脱な言葉のやりとりがまた面白い。ゴルフ好きが高じて沖縄

執筆者:天願 勇


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