医師の眼差し㉘ : 麻酔科医不足を憂慮

隔月刊ドクターズプラザ編集部

コミュニケーションのすれ違いが事故に

つくばセントラル病院 副院長 高橋宏氏

高橋宏氏

高橋 宏氏

つくばセントラル病院副院長兼、麻酔科部長、筑波大学医学群臨床教授。1984年筑波大学医学専門学群卒業。1991年〜1996年筑波大学講師臨床医学系(麻酔科)。(1993年〜1995年米国ジョーンズ・ホプキンス大学麻酔科集中治療部研究員)。1996年〜1999年総合病院土浦協同病院麻酔科。1999年〜2004年筑波大学人間総合科学研究科講師、2004年〜2013年同准教授。2013年〜2014年筑波大学附属病院病院教授。2014年から現職。
 

スキー部から麻酔科へ

― 医師になろうと思ったきっかけはなんでしょうか。
高橋 某私立中学に入学したのが大きかったのかもしれません。周りの友人のお父さんが医者だという人が多かったり、高校の先輩でもある、友人のお兄さんが医学部に通っているという話を聞いたりして、何となくその頃から意識していました。実際に医学部を目指そうと考えたのは高校2年生の頃からでしょうか。医者は社会的地位もあり、人の命を預かるというやりがいもある職業なので、目指すというよりは憧れのような感情を抱いていました。
 また、小学校低学年ぐらいまで、すぐ近くの町医者にかかっていたのですが、そこに行くと毎回、風邪でも何でもペニシリンを注射されていました。一度、全然治らない時があって、その時に違うお医者さんにかかったところ、顎下腺炎だと診断してくれて、すぐ良くなりました。それからは自分が高熱を出した時は、その先生が往診に来てくれただけで治ってしまうくらいに信頼をしていました。
 潜在意識の中でこの先生のことも、影響があったかもしれません。

― どんな青春時代を過ごしましたか。
高橋 筑波大学に入って一人暮らしを始めた時は、ご飯の作り方も知らなくて、友人に教わったりしながらの生活でした。大学の学生宿舎が充実していたので、そこには同級生もたくさんいて、入学した当初は毎晩が修学旅行気分でしたね。
 それと、大学に入ったらスキーをやりたいと考えていたので、医学スキー部に入って、競技スキーを始めました。今とは違ってスキー自体の人気が高かったものですから100人入学したうちの15人くらいの同級生が入部しました。合宿や大会などでは友人たちと同じご飯を食べながら集団生活を送っていました。多い時には年間に40日くらいスキー場にいたと思います。
 親離れしたこともあって私にとっての青春時代はこの大学生の時でしたね。


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