医師の眼差し㉙ : 症状がないうちに検査を受ける習慣を

隔月刊ドクターズプラザ編集部

内視鏡検査も、格段に改善されている

鈴木内科胃腸科クリニック 院長 鈴木 保永氏

鈴木 保永氏

鈴木 保永氏

1988年獨協医科大学医学部卒業。1994年獨協医科大学大学院卒業。1998年獨協医科大学消化器内科講師、外来医長、病棟医長。大学在職中、年間約3000例の指導も含む内視鏡検査および治療に携わる。2004年鈴木内科胃腸科クリニック開業。獨協医科大学消化器内科・非常勤講師。日本内科学会認定医、日本消化器病学会消化器病専門医、日本消化器内視鏡学会専門医・指導医、米国消化器内視鏡学会(ASGE)会員、日本医師会認定産業医。
 



米の学会での刺激が、成長のきっかけに

― 医師になろうと思ったきっかけはなんでしょうか。
鈴木 物心がついた頃には、父がこの場所で開業医をしており、母も小児科医として一緒に仕事をしていました。ですから医者という仕事自体はとても身近でしたし、自分も医者になるのだと思っていました。でも高校生の頃は、いろいろなことに興味を持つようになり、親に対する反抗心のようなものもあって、本当に医者でいいのか、他の道はないかと考えたこともあります。
 高校卒業後1年浪人したのですが、その時に父が母校の大学病院に見学に連れて行ってくれました。実際に見てみて、やはりこれしかないだろうと思い、医学部に入りました。父も地域に根差した開業医として、近所の方から感謝されるという様子も見ていましたからね。
 父が脳梗塞で倒れたことをきっかけに大学から戻り、2004年に「鈴木内科胃腸科クリニック」として開業しました。

― どんな青春時代を過ごしましたか。
鈴木 高校時代は部活にも入っていなかったので、好きなことをして遊んでいましたね。動物がとても好きだったので、いろいろな生き物を飼っていました。一時は獣医になろうかと思ったこともあったくらいです。
 大学では、準硬式野球部に所属していました。もともと野球が好きだったのでとても楽しかったですし、先輩や仲間たちとの深い絆ができた時期だったと思います。先輩と一緒に食事に行っては、いろいろな話を聞かせてもらいましたし、医局にも先輩の勧めで入りました。

― 忘れられない出来事はありますか。
鈴木 大学院4年目の時、アメリカの消化器病学会に、先輩と一緒に参加させていただきました。とにかく規模といい、雰囲気といい、日本とあまりに違うので非常にびっくりしたことを覚えています。アメリカではポロシャツ姿で、発表しながらハンバーガーを食べている。もちろん発表の内容もとても興味深かったのですが、かなりフランクな感じで驚きでした。その後、自分でもDDW(米国消化器病週間)で発表することも出来ました。医師としての成長のきっかけになったと思います。
 また、大学の研修医の時に最初に受け持った患者さんは、進行しているがんの患者さんでした。何度も入退院を繰り返しておられ、今度入院することになったら厳しいのではないかという方でした。その患者さんは、私が研修医であることを知った上で、非常に誠実に対応してくださいました。結局2カ月ほどの入院の末に亡くなられましたが、その時は涙が出そうになりました。ご家族から「ありがとうございました」と言われて、自分がやってきた治療が間違っていなかったのかなと、救われる思いでした。こういうことの積み重ねが、今に繋がっているのだなと思います。


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