(第21回)沖縄より ~『巡り合い』 ~

天願 勇

音楽という新しい世界に出会う

妻との巡り合い

 妻・厚子と巡り合ったのは札幌だった。,76年8月、ハワイ大学の臨床研修を修了して沖縄県立中部病院の外科にいた私は、救急医療の研修で札幌に出張した。約1カ月間、大通り公園に面したホテルから国立札幌病院に通っていた。ある日、すすきのにあるデパートの前を通り掛かった時、不思議な音楽が流れてきた。誘われるように入っていくと、ステージの上で青いパンタロンスーツの乙女がエレクトーンを演奏していた。しなやかな指とのびやかな脚が生み出す多彩な音色、長い黒髪を揺らして演奏する後ろ姿に目を奪われた。
 翌日、北大医学部の武谷先生に打ち明けると彼女のことを調べてくれた。ヤマハから松坂屋百貨店に派遣された音楽講師だった。1週間後、ヤマハのレストラン『合歓』で初めて向かい合った時は、まるで夢を見ているようだった。二人で札幌の街を南から北、東から西へ歩きながら仕事や趣味の話をした。宿にたどり着いた時は真夜中だった。

音楽の効用

 帰沖する前日、手紙を書いて渡した。『あなたの演奏を聴くたびに心がときめきました。おかげで、郷愁にかられることなく過ごすことができました。あなたの弾くエレクトーンには人の心を癒す効果があります。一人でいることの寂しさも……沖縄へ帰ったら電話します』。
 帰沖する日、札幌から高速で車を飛ばして千歳空港まで見送りに来ていたことを後から知らされた。北海道と沖縄の遠距離交際が始まり、時には東京や大阪で会ったこともある。3カ月後、沖縄の実家で厚子を家族に紹介した日、残波岬の海辺でプロポーズした。ラジオからは『北の宿から』(都はるみ)が流れていた。『あなた変わりはないですか 日ごと寒さがつのります 着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます 女心の未練でしょう あなた恋しい北の宿』。これまで恋愛と音楽には無縁だった私が、厚子のエレクトーン演奏を聴いたことをきっかけに開かれた新たな人生の1ページだった。


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